旅にまつわる話・纏わらない話(その11)
讃岐の「日本一うどんが旨い店」のこと

 
                     「琴平のうどん屋」
        

 初詣に香川県・琴平町に行った。肌寒い日で、ちょうど昼過ぎになっていた。川沿いの狭い道から参道へ向かって曲がると、角にうどん屋があった。「やはり讃岐に来たら、うどんだな」と妻と話した。店の外に、「金比羅一うどんがうまい店」と旗が立っていた。

 戸がわずかに開いていたので、覗くといっぱい客が居て、だれもが静かに一心不乱に食べていた。「これはきっと評判の店だな。」と思われた。中に入ったが、奥さんらしい人は、「いらっしゃいませ」とも何とも言わなかった。主人らしい老人が出てきたが、これも何にも言わず客に一瞥さえしなかった。歳は70台に見えた。

 あらためて薄暗い室内を見回すと、土間にはゴミが落ちている。壁は薄汚れ黒くなり、一部がはげかかっている。そして至る所に割り箸の入った大きな袋やなんだか分からない段ボール箱が積み上げてあり、壁の黒板には電話のメモや広告などが、たくさんベタベタと貼り付けてある。 狭いテーブルは使い古し塗装がはげているうえ、前の客が残した汁のあとがべったり付いていた。

 不思議なことに、壁に「この店で<火曜サスペンス劇場>のロケがありました。」と大きな写真が貼ってあった。なかに片平なぎさがいた。ホントに不思議だった。奥さんが出てきてお茶を入れはじめたが、急須は洗ったあとがなく、客のすぐそばで茶を入れはじめたが、湯飲みは一部欠けて薄汚れていた。茶はめちゃくちゃ温い茶で、出がらしで味さえも飛んでいた。

 やがて主人が出てきて、目の前で麺をゆで始めた。そして客を見ながらこういった。「ウチは客の顔を見てから、麺を切る様にしている。だからすぐには食べられん。ヨソの店は朝に麺を全部切ってしまうが、麺は切って一時間で不味くなる。そういう麺はダメだ。」私は、「このヘンコツそうな主人は麺の達人かな」と思った。店は汚くても、味が良ければいい。

 やがて写真のうどんが出てきた。汁はほとんどない。麺は細い。具はまずまずだったが、なんか家庭のうどんの様だ。早速食べてみた。不味くはなかったが、手打ちの割にはコシはない。汁は昆布だしにカツオを少し入れた味でとろみがあり美味かったが、大変温かった。妻の方は、「麺がおいしい」と言っている。まあ、こんなものか。

 二人分、千円を払って店を出て、表参道を上がっていった。沿道の店は食べ物関係が多かった。何軒かのうどん屋は<うどん250円>と表示があった。妻は「今食べたうどんの半額ね」と残念そうに言った。私、「でももっとマズイかもしれない」と言った。

 山上まで登り賽銭を入れ、また下りてきた。駅に帰る途中で、土産に袋詰めの半生うどんを買った。その雑貨屋の女主人に訊いてみた。「川筋の角っこのうどん屋で食べたが、主人はどんな人ですか?」すると「**屋ですか?あそこで食べたんですか?!」その口調は驚いた感じだった。わたし「何かあるんですか?」主人「あの店変わってるでしょう?味はどうでしたか?」妻「麺はおいしかったですが・・。」主人「まあー打ち立てならどんなうどんでも美味しいですからね。」それを二度言った。「私なら行きません」というニュアンスだった。

 町内の同業者はその「金比羅一」の旗をどう思っているのだろうか?」帰宅後、件の店でもらってきたマッチを見ると、「日本一うどんのうまい店」と刷ってあった。

                                (この項2003年1月分再構成)

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