旅に纏わる話・まつわらない話(1)

1.世界でいちばんの「旅行者」はどこの国の人?
2.オーストラリアの小学生の話
3.釧路の鶴の話


 世界で「いちばんの旅行者」はどこの国の人?

 
今朝の日本経済新聞に、「英国人旅行者は世界で最悪」という小さな記事が載っていた。それによると、「英国人観光客は行儀が悪くて現地の言葉を話そうとせず、郷土料理も試さない・・。大手旅行会社の調査で、英国人が世界最悪の観光客に<認定>された。日本人はマナーと金払いが良いことから、総合でドイツ人、米国人に次いで二十四カ国中の上から三番目の高い評価を得た。米オンライン旅行業者エクスペディアの英国部門が世界の観光都市十七カ所の観光局などを対象に調べた。マナー部門で日本はドイツに次いで二位、親しみやすさでも米・独に次いで第三位と、日本人観光客は海外旅行慣れしてきた。」ということだ。

 しかしわたしは、この結果にいささか疑問がある。まず我が日本人だが、「行儀が悪くて現地の言葉を話さず郷土料理も試さない・・」は日本人にも大いに当てはまるような気がする。郷土料理はともかく、団体ツアーの人たちの「傍若無人さ」もよく見かける。集団心理か何か分からないが、レストランなどでも周りに客が居ても大きな声で騒ぎ、ストロボ写真を撮りまくる。言葉に関しても、個人観光でない人たちは添乗員に通訳をさせたり、自分では現地語で話そうとしない。わたしも数カ国で、店の人から「日本人は英語で話しかけると逃げますね。」と言われた。

 しかし、最近悪いのは日本人だけではない。シンガポールやオーストラリア、スイスアルプスで「傍若無人」だった
のは、中国や韓国などのアジア系の人たちである。はっきり言うと、日本人よりもさらに悪い。少し前まではアジアの国々も、日本のように経済が好調なときがあった。そのころの話である。

 それでは「ヨーロッパ系の人たちは良いのか?」ということになると、これも問題だ。上の調査で「最優秀」とされたドイツ人にも、ひどいのがいる。カナダのバンフのスキー場には、ドイツ人がたくさんやってくる。直行便があるらしい。そこで毎年かならずスキーの列に割り込んでくる人たちがいる。同じ人ではない。カナダはスキー場でのコントロールがすばらしく、きちんと列を分けて係員が誘導している。感心するほどである。その間隙にそんなことを平然とするのだ。

 またフランスのシャモニーのスキー場ではカナダと全く違って、日本と同じく割り込み押し合いは通常だが、フランス人だけでなく、近隣のイタリア、スペイン人もどんどんやっている。自分の板で他人の板を堂々と踏みつける。また、30分並んだスキーバスの列も意味がなかった。女性などは押されて悲鳴を上げていた。

 「現地の言葉を話さない」のはアメリカ人も同じだが、彼らはまた「傍若無人」でもある。ドイツの地方都市のホテル・レストランで食事をしていたら、「わあー」と歓声が起こり、「ハッピバースデイ・・!」の大合唱が始まった。リタイア老人グループの誰かの誕生日だったらしい。
これは「傍若無人」なのか「天真爛漫」なのだろうか。

 いろいろ思って、上の文章をもう一度読んでみて、ハッと気が付いた。調査の場所が、
世界の観光都市十七カ所の観光局など」であった。
これではやや「信憑性」
に欠けるだろうホテルのフロントやベッドメーキングの女性、タクシーの運転手や外国人のよく来るレストランの従業員たち、土産店店員の声を聞いた方が良かった。
                                                 (2002/7/22)
                 
                        
                       

 
オーストラリアの小学生の話

 今朝のNHKTVで、広島で少女時代被爆し、のち学校教師になったが中途退職した森本順子さんの話が紹介されていた。彼女は今はオーストラリアに渡り、得意の絵を持って小学校をまわり「原爆の話」をしているという。

 その教室での授業風景を紹介していたが、彼女が「
どうしてアメリカであんな爆弾事件が起こってしまったのでしょう?」と訊ねると、小学校の高学年らしい子どもが、「アメリカは豊かだから、それで貧しいところがうらやましがってするんだ」と答えていた。また「どうしたらいいでしょうね?」という問いに、別の子どもは、「いくら爆弾を落として人を殺しても意味がない。援助したり話し合ったりすることが大事」と答えていた。

 わたしはそれを聞いて感じ入った。もちろんだからといって、「暴力やテロが良い」というのではない。しかし全体的には、大変筋が通った客観的ですばらしい意見である。言葉こそむずかしい言い回しはしていないが、同じことを大人が言っても良いくらいである。これを言えるオーストラリアの小学校の教育は、いったいどんなモノかと思った。

 確かに、小学生くらいの年齢では「自分の意見より親の意見の受け売り」かもしれない。それにしても、それが家で言える親子関係、さらに見識を持っている親たち-はすばらしいと思う。翻って、今の日本だったらどうだろうか?私は森本さんの地道な取り組みに敬意を表するが、同時にオーストラリアの子どもたちの将来に希望をもちたい。                                      
(2002.7.18)



 釧路の鶴の話

 マイカーで二度目の北海道一周ツアーをしていた時のこと、釧路から阿寒湖へ向かう途中に「道の駅」があった。今となっては、その名前が思い出せないが、近くに鶴の餌場か何かがあったように思う。そこの売店の中年女性と世間話をしていたら、「鶴」の話になった。

 彼女は鶴が好きらしく、いろいろな鶴の話をいとおしそうに教えてくれた。その中にこんな話があった。「
鶴の夫婦がいたが、ある時メスの方が交通事故にあって死んでしまった。オスはしばらくはその場所からは動かなかった。その後オスはしばらく現れなかったが、ある日飛んでやってきた。そして、メスが「死んだ場所」の周りをくるくるなんども飛び回って、最後に「クワー」と鳴いて去っていった。次の日もその次の日も飛んできて同じことをして去っていった。・・」と。

 それを聞いてわたしはしばらくは何かが胸にこみ上げたが、とうとう「そのあとオスはどうなったか?」と聞けずにお礼を言って去ってしまった。釧路湿原の「丹頂鶴自然公園」でオリの中の番いと一羽の雛を見たが、本当に仲が良くてしばらくは見とれていたものだ。あの話も「さもありなん」と思う。 
(1999.4)