3 機内で隣合わせた中国系マレ−シア人夫婦
クアラ・ルンプール空港(KLIA) オフィシャルサイトより転載
クアラ・ルンプール空港の機内でのこと、アジア系の顔の中年夫婦が、隣の座席に座ってきた。中国人か、日本人か?と思って、それとなしに聞いていると、中国語らしいことばを話している。そのうちに、ダンナの方が英語で私に話しかけてきた。歳は私と大して変わらないように見える
「日本人ですか」
「ええそうです」
「どこから来たのですか」
「大阪からロンドンへ行く途中です」
「マレーシアは何回目ですか」
「実はマレーシアはきたことはありません。今回もただの乗り継ぎですが、ロンドンからの帰りにクアラ・ルンプールで二泊します。」
ありきたりの会話から始まったが、私はこの夫婦がどんな人たちなのか、少し興味があった。会話をまとめると、ダンナはマレーシアで二番目の自動車メーカーのディーラーの人間で、イギリスのバーミンガムで開かれる自動車ショーを見に行っているという。何でもその会社は、日本のダイハツからライセンスを買って生産しているらしい。
「その車はよく売れるんですか」
と聞くと、少し首を振ってまあまあという。隣のシンガポールやイギリスには輸出しているが、他の国にはしていないという。確かマレーシア国産車No1はプロトンとかいったと思うが、寡聞にして二番目は知らなかった。
英語で私と話している間にも、隣の奥さんとは中国語らしいことばで会話を挟んでいる。何語ですかと聞くと、広東語Kantoneseだという。中国南部のことばである。中国南部にはチョーチャンとかフーチェンとかコワントンといった省(日本でいう県)があり、多くの者が海外へ進出して華僑や華人として活躍している。彼らもそういう人たちなのか。聞くと、祖父の時代にマレーシアに来たという。また彼は、広東語や英語だけではなく、地元のマレー語を話すという。
「すごいですね。トゥリリィンギスト(3カ国語を喋る人)ですね。」
「こんなのは大したことではない。マレーシアにはインド人も沢山いる。ヒンディ語も喋る人もいる。」
日本人は「多民族国家」のヒトには、語学では絶対勝てない。日本だったら英語がペラペラ話せたらもうこれだけですごいことだが、多民族国家では当然のように英語が必要だし、当たり前のことらしい。多民族なので、英語を使わないと同じ国民で互いの意志疎通もできないのである。
アジアで英語を話す国民としては、インド、シンガポール、ミャンマー、マレーシア、香港(地域)、フィリピンがあるが、前の5カ国は元英国の植民地で、最後のひとつが元アメリカ領である。我が日本は幸いなことに、欧米の植民地になったことはないが、世界で「英語が話せないという国民」と評価(?)の高い国である。少数の在日韓国・朝鮮人や「アイヌ」人がいるが、単一民族に近い国であり、欧米から隔たっているということだけではなく、植民地の経験がないこともその理由であろう。かといって、植民地が良いというのではない。しかし、最大の理由は、英語(外国語)を使わなくても生活できるということであろう。
私が今年の4月に行ったオーストリアのウィーンでも、若い人は英語を流暢に喋っていた。学生は英語の本を持っていた。1月に行ったタイでも、高校大学生はけっこう英語を話した。やはり英語の原書を持っていた。日本では最近、学生は英語の原書は持たない。東京でも大阪でもあまり見られない。よく見られるのは、ITやコンピューター関連、外資系企業らしいサラリーマンが、英語の本を電車内で読んでいる姿である。日本では、一部はファッションであったにしても、学生が「洋書」をもって歩く姿は「歴史」となったのか。
ヨーロッパがEUになって、ひとつに「団結」しようとしているが、逆にドイツ語やフランス語ではなく、英語使用の頻度が伸びてきているという。やはり多民族故に会議で英語を使うらしい。こうなると、世界的傾向として英語使用がますます高まっているような気がする。まことに日本は地理的にも歴史的にも英語能力においても、世界の先進工業国内では独特の「地位」を築いているようだ。残念なことには、これが理由で外資系企業は進出先を日本にではなく、英語ができるシンガポールへシフトしているという。
マレーシア・エアラインのジャンボ機 オフィシャルサイトより転載
話は件の夫婦に戻るが、ダンナの方は航空会社の話をしているとき、「このマレーシア航空は良いだろう。」と何度も言う。言葉の端々に、誇りに思う気持ちがにじむ。いろいろ説明してくれるのだが、なぜか自分の会社でもないのに褒めまくる。
マレーシアといえば、マハティール首相という、良くも悪くも「強力な指導者」が、元同胞のシンガポールや日本に追いつけと、工業化を進めている国である。やはり国民にも、強い愛国心があるのかもしれない。そういう意味では、「発展途上国」は、目標があるからいい。日本にもむかし「アメリカに追いつけ」という目標があったが・・。
つい最近、台湾の台北空港でシンガポール航空機が炎上した。原因は滑走路を間違えたという基本的なミスで、多くの人が死亡した。この会社は創立以来大事故がなく、またサービスが、先進国のエアラインよりも素晴らしいと評判の会社であった。乗務員のサーヴィスがよいので、私も大好きな会社のひとつでもあった。その衝突事故の際、シンガポールの人びとが心配したことはただ一つ、「世界でシンガポール航空の評判が落ちないか」ということであったという。「愛国心」もけっこうだし必要ではあるが、ここまで来ると何か違うという感がある。日本も明治大正の頃は、こんな感じだったのかもしれないが・・・。いま仮にアメリカの航空機が墜ちても、アメリカ国民はこうは言わないだろう。
再び話は隣の客に戻る。イギリスに着いたら、直ぐにバーミンガムへ行くという。バーミンガムは、英国有数の工業都市である。その自動車ショー見学が済んだらどうするのかと聞くと、ロンドン市内を観光してからフランスへ渡り、パリで観光すると言った。横から奥さんがブロークンな英語で、「買い物もする。」とつけ加えた。楽しみにしているらしい。
「随分リッチな旅ですね。あちこち行って。」というと、
「そうではない。めったに来られないから、こうするのだ。」
と言った。そのあとダンナは続けてこうも言った。
「今マレーシアは、経済的に大変厳しい。だから、為替レ−トもどんどん悪くなっている。せっかくのチャンスだから、思い切って出たのだ。しばらくは海外に出るのは無理だろう。」
このことは、逆に外国人から言ったら、マレーシアは物価が安めで、国内旅行し易いことになる。海外旅行の際はいつも、この「為替レート」の問題がつきまとう。今回の私について言えば、イギリスへ行くのも、円が強いおかげで安く旅行が出来ているのだ。「為替」は魔物である。そんなことを考えていたら、機内のタダ酒が回ってきたのか、いつの間にか眠っていた。