エジプト考古学博物館とツタンカーメン

エジプト古代史の宝庫・エジプト考古学博物館
(写真左下は古代の紙パピルス)

エジプト考古学博物館とは
 エジプトの首都・カイロの新市街、ナイル川の近くにきれいに改装された博物館があります。これが7000年の歴史をもつエジプト文明の大集合である「考古学博物館」です。エジプト国内から発掘された歴史的遺品が集められています。皆さんがよく知っているあの若くして亡くなった少年王、ツタンカーメンの黄金のマスクもここにあります。しかしこのマスクは博物館の大切なコレクションのひとつですが、他にもたくさんの大切な収蔵品があるのです。中の様子は下の写真で分かります。


 上の写真でちょっと見てもいろいろありそうですが、じっさい大きなお棺や神像、王の像、多くのミイラから生活用品、日用品まで、たいていのものが展示されています。とくに有名な物としては、古王国時代の傑作、ラーホテプととネフェルトの座像やアマルナ芸術で知られるアクエンアトンの大きな像、小さいですがきれいな書記像などがあります。

               
                      
 この改装されたすばらしい建物は、2階建てで100以上の部屋があるそうです。ここを全部ていねいに見るには一週間はかかりそうです。しかし観光シーズンでなければ、わりと静かな雰囲気でゆっくり見られそうです。

 ただここにあるものが、エジプト文明のすべてではありません。あのツタンカーメンのお棺も今も墓の中ですし、ナイル川沿いには時代毎にすばらしい遺跡群がならんでいます。このように、ピラミッド、スフィンクス、アブシンベル神殿などのように、それぞれが大変大きくその場所でしか見られない物も無数にあります。

 残念なことには、この「世界の宝」ともいうべき遺物が、何とアメリカ、イギリス、フランスなどの博物館にもあるのです。その理由はかんたんには書けませんが、歴史的には不幸な出来事がたくさんありました。一言でいうと、先進国にもって行かれたのです。先ほど書いたツタンカーメンのマスクも、実は十数年前までイギリス・ロンドンの大英博物館にありましたが、やっとエジプトに返されました。

 しかし、「絶世の美女」といわれ、ローマの英雄カエサル(シーザー)とのロマンスもあるクレオパトラ7世とともに、「エジプト一の美人」といわれたネフェルティティの「ネフェルティティ胸像」は、いまだにドイツ・ベルリンの博物館にあります。こういう遺物も本当はエジプトに帰るのがいちばん良いのです。ちなみにネフェルティティはツタンカーメンのおヨメさんアンケセナーメンの母なのです
                         
  ネフェルティティ胸像(ベルリン・エジプト美術館蔵)  

 またエジプト史では、シャンポリオンによるヒエログラフ(神聖文字)解読のきっかけとなった、ロゼッタ・ストーンは現在もロンドンの大英博物館にあります。 

      ロゼッタ・ストーン(ロンドン・大英博物館蔵)  (筆者写)  

ツタンカーメン、正しくはトゥトアンクアムン

トゥトアンクアムンのマスク
少年らしい表情が見て取れる
トゥトアンクアムンと妻アンケセンアメン
(副葬品・玉座背もたれ部分の絵)

二人の仲は大変良かったといわれる

 
・・・3350年程前の紀元前1350年頃、ツタンカーメンの義父アメンヘテプ4世が亡くなり、ツタンカーメンはわずか9歳で即位し、18歳という若さで突然亡くなります。3280年程前の紀元前1279年、ラムセス2世が王位に就くと、アブ・シンベル大・小神殿、カルナック神殿の大列柱室、ラムセウム(葬祭殿)など、多くの建造物を造りました。・・・・ (エジプト大使館公式HPより転載)

   


(参考写真:ツタンカーメン墓発見時の再現シーン・下)

"Egypt, History & Civilization, OSIRIS"より転載


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自分の名前を神聖文字(ヒエログラフ)で書いてみよう
(基本的に母音はありません)

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