Mails from Bagdad, Iraq 
   バグダッド便り   
米大統領ブッシュの始めた「この戦争とは何か」を現地から現役ジャーナリストが刻々と生々しく伝えます

                          <執筆者紹介>
 執筆者Y氏は現役の記者で、あるマスコミ社に属している方です。仕事もちょうど「脂ののりきった」時期にさしかかっています。このたび彼のご好意で現地、およびその周辺地域から直接生々しいレポートを送っていただくことになりました。物事の核心を衝く切れのいい文章で、なおかつ分かりやすい文章が特徴です。時には仕事では書けない内容も含まれています。ご期待下さい。ただ仕事の都合上、掲載は不定期になると思います。ご了承下さい。

                             注:サイト・オーナーの判断で省略した部分(略)があります。


米軍民家にミサイル攻撃 (ファルージャ) AP-GULF NEWS                 

攻撃された米軍車両(2004Y氏撮影)

<投稿終了>

Update:December21,2004
投稿の日付(クリックするとその日の投稿が読めます)
2004/12/16
2004/10/29 2004/10/26 2004/10/08 2004/09/28 2004/08/28
2004/08/15 2004/08/13 2004/07/24 2004/07/20 2004/07/17
2004/07/16 2004/07/08 2004/07/03 2004/06/30 2004/06/28
2004/06/27 2004/06/27 2004/06/27 2004/06/25 2004/06/24
2004/06/23 2004/06/21 2004/6/13-2 2004/6/13-1 2004/06/11
2004/06/09 2004/05/30 2004/05/29 2004/03/13 2004/03/12



<記事関連リンク(英語)>
CNN (USA) Gulf News (UAE)Al jazeera (アル・ジャズィーラ) Falluja in 2004
Arab World NewsWorld PhotosIraq Today
Iraq Hellow

下記記事(2004/6/30)以後は別ページに記載(上の日付をクリックしてください)
2004/6/30
 主権移譲前倒しで、訳の分からないままあっという間に時間がたってしまいました。その間、またまた、このホテルへの攻撃情報です。それによると、
・女性の自爆テロ犯が近日中にパレスチナホテルを狙う
・武装勢力200人がパレスチナホテルと向かいのシェラトンホテルを襲撃する
という話。

 昨日から、米兵の出入りチェックが異常に厳しくなったのは、のためのようです。もしこの情報が当たれば、メールは送れなくなるでしょうから、あ、当たったんだ、と思ってください。どっちにしても、これから暫定政府を転覆させようとする勢力の、総攻撃が始まるという情報が、町だけでなく、米軍、暫定政府筋からも寄せられています。

 このホテルを守るのは、20人ほどのイラク人警備陣と、同じくらいの人数の米兵しかいません。これで200人の武装勢力とどうやって戦うのでしょう……?最近は、米軍戦車もいなくなってしまったし。米軍に反感を覚えつつも、このホテルを守ってくれる米兵が見えなくなると不安を感じる、というのは、今の一般イラク市民の意識と全く同じです。

 米兵をみると嫌悪感むき出しで石を投げても、米兵がイラクを完全に去ると内戦状態になるのではと、ひたすら恐れる。そして、こんな国に誰がした、とブッシュを呪い、次の米国の選挙で、ブッシュが負けることを心から願う。そして、イラク人のくせに、そんなことを願っている自分に気づいてさらに哀しくなる……。
「何でアメリカの大統領選挙なんかを、こんなにまで気にかけなきゃならんのだ?」と。
昨年、イラク南部ナシリヤの町で知り合ったイラク人が、議論を自己完結させながら悩んでいたのが思い出されます。

 今日は、アラウィ首相単独インタビューができるはずがフイになってしまいました。こないだ、先輩記者のヤワル大統領インタビューについていったんですが、大統領も首相も、警護はまだ、米兵(米国籍かどうか分からないので、米か英か、豪州か、という感じの人)です。でも、米兵ということが目立つといけないと思っているのか、警護要員は、みんな、ジーパンにポロシャツ姿です。
それが、自動小銃を抱えて、強面で大統領、首相を守っています。それまで米兵が守っていた場所の多くで、イラク人に交代しているのですが、国のトップはなお、米国に守ってもらわないとだめなあたり、まだまだ、主権国家にはなっていないといえそうです。

 今日、記者会見で初めて間近に見たんですが、首相のアラウィという人は、ちょっと小太りで、そんなに背も高くなく、普通のおじさんの雰囲気なのでが、目つきがとにかく鋭い。さすが、元情報機関の高官、というような怖い目つきをしています。これだけ暗殺や自爆テロが吹き荒れ、名指しで暗殺宣言されているのに、いろんな場所に視察に出かける豪胆さは買える。

 じわりじわりと、支持も広げている印象です。多くのイラク人が、とりあえずなんかやってくれそうだ、という印象を持ちつつあるようです。少し前の世論調査では、あんまり人気はなかったようですが。米国の傀儡という印象があまりにも強いですから。何より、あの人はサダム政権下で、CIAの援助を受けながら、イラク国内で爆弾テロもやっていたようです。今は、それを防ぐ立場というのが、何とも皮肉です。毒をもって毒を征する、ということでしょうか。

2004/6/28
 (夜半)先ほど、今日何回目かの大爆発……。米軍戦車が2両、爆発の方に向かって轟音を響かせて走っていきました……。30日に向かって、どんどん、戦場臭くなっていきます……。国際空港をとびったった米軍輸送機が被弾して、米兵が1人死んだそうです。

 空港が閉鎖になったら、脱出の方法がありません……。まあ、米軍機は何度も被弾しているのに、民間機はしぶとく飛んでいるから、大丈夫とは思うのですが……。今日はまだ、爆発がある気配。静かに眠れる程度の爆発であってほしいのですが。

(続報)
 今日、夕方にあったこのホテル近くでの爆発は、結局、朝の攻撃と同じようにこのホテルの上を迫撃砲?の弾が飛んでいったらしいのですが、それがどういう訳か、チグリス川に着弾。ちょうど、川で泳いで遊んでいた子供たち5人ほどが死んだそうです。

 水際の親水空間は、かつてサダム一族の独占でした。その中で、パレスチナホテルのチグリス川沿いは、数少ない市民の憩いの河原です。夏には55度を超える土地だけに、川沿いというのは、本当に特権階級のみに許される憩いの空間。市民が自由に憩えるこの辺りの川辺は、本当に貴重な場所でした。それが、昨年の夏以降、この河原は、パレスチナ、シェラトン両ホテルのセキュリティのため、なかば封鎖状態にあります。

 でも、ストリートチルドレンや、その辺のガキ大将が、有刺鉄線をくぐって河原に行き、サッカーをやったり泳いだり、子供の遊び場になっています。CPAを狙う攻撃は、しばしば、この両ホテルの上を通り、この河原を抜けて対岸のCPAの敷地を狙うのですが、今日のはどういう訳か、飛距離が足らなかったようです。この辺りのストリートチルドレンは、たちの悪いのもいれば、とても性格のいい子もいます。

 今回の到着時に、僕の荷物を駐車場から運んでくれた6歳のアリと10歳のフセインは、中でも抜群に性格のいい子でした。金をくれないと石を投げるようなのがいるのに、彼らは、思いスーツケースを台車にのっけて運び、僕に絶対に持たせようとしない。思わず、相場の倍のチップ(といっても、1人2ドルほどですが)を渡してしまった……。あの子たちが被害に遭っていないことを祈るばかりです。に、しても、もう少し飛距離が短ければ、このホテルか向かいのシェラトンにあたったはずです。30日に向けて、バグダッドは戒厳令の状態になるようです……。

2004/6/27(3)
 昼前、大きな爆音が2発とどろき、どこだどこだと大騒ぎしたのですが、なんと、このホテルのすぐ上を、迫撃砲弾?が2発、かすめて飛んでいき、川向こうのCPA本部めがけて行ったそうです。

 1発はCPAのゴミ置き場で爆発、1発が空中爆発したんだとか。ホテルに当たらなくて良かったねと、笑うしかない感じです。あれだけの威力の爆弾が直撃すると、まあ、この支局だと全部吹っ飛ぶこと間違いなし、っていう雰囲気ですね。

 ついに、バグダッド空港を飛び立った米軍機が被弾……。昨年にも何度かあったけれど、確か11月以来、久しぶりの被弾です。もし空港が閉鎖されれば、脱出の方法がなくなります……。

2004/6/27(2)
・・・(略)・・・
 支局のドアに鍵をつけたのに続き、今朝からは支局で雇っている運転手の一人が、ドアを内側から閉め、その後ろに門番のようにして座るようになりました。訪問者はノックをし、内側にいる支局スタッフが誰何したうえで、開けるかどうか決めるシステムです。でも、オオカミが初めからオオカミですよーって、言う訳がないし。必ずお母さん羊ですよーって言うに違いない。

 に、しても、3日前までは連日、取材に出歩いていたのに、外国人ターゲットのテロ情報、が流れてからは、さすがに外に出られなくなり、拘禁生活が続いています。でも、フリーの記者は、こういう情報にもちろん接することなく活動しているでしょうから、大丈夫なのかなと心配しています。

 フリーと言えば、この4、5月の最も危険な時期にも、バックパッカーとフリー記者の中間、みたいな人が結構、危険な地域をうろうろしていて、何人か、支局に僕を訪ねてきた人もいました。写真を撮っているのはいいんだけど、取材していないし、何より腰がひけていて、後ろ姿ばっかり、みたいな若者のいたりして、これでは命を賭けて行く意味がない、と忠告したこともありました……。

 昨年の夏ごろには、このイスラム国に、ノースリーブの20歳の女子大生まで、一人で遊びに来ていたんです。支局にふらっと遊びに来て、イラクって、安全な国ですよね!って。それは、町を歩いていていきなり殺されることもないし、泥棒はいない。でも、すでに自爆テロや強盗、誘拐が激発していた時期。もちろん、一般犯罪までは、日本の新聞で記事にもニュースにもならないから、彼女たちが知るよしもないわけです。

 大阪府警を回っていた頃、毎日、入ってくる事件事故を全部、知ってしまうと、いかに大阪が治安が悪いかということが、よく分かった。どこの辺りが何時ごろ、あぶないか、ということまで。でも、相変わらず町には、夜中まで裸同然の女の子が歩いていたけれど。

 昨年の夏ごろは、とにかくバックパッカーがたくさん来ていて、劣化ウラン弾の被害にあったと思われる白血病の小児病棟に行くのが、イラクに行った!という箔付けになるとかで、最初はそれでも、NGOや病院スタッフも見学を受け入れていたけれど、そのうち、あまりの礼儀のなさに、受け入れをやめた、と知り合いのNGOが言っていました。

 それと同じで、毎日、外電や情報機関の情報を集めていると、イラクのどこで何が起き、背景は何で、どのような犯人像か、まで、分かってくるので本当に、フリーの人が、単に殺されないのは偶然、運がいいだけ、ということもよく分かる。これだけ危なくても、外に出る方法はあるし、生き残る方法もあるんですが、情報の裏付け無しに動き回っている人を見ると、命がいくつあっても足りないよなあと、思ってしまいます。

 まあ、そういうことだからこそ、人があっとおどろく素晴らしい仕事が生まれてくるものだから、
僕自身は、それを非難する気にはなれないんですが。でも、これだけ長い間、しょっちゅうイラクに来る僕らにしてみれば、やっぱり、当たるも八卦、当たらぬも八卦、ではちょっと困る。

2004/6/27(1)
(襲撃された車両の写真)
 
 他の車は、こういう現場は猛スピードで逃げ去るのですが、僕は取材の必要から運転手にゆっくり言ってくれ、と頼むのですが、やはり相当緊張しました。現場から少しでも逃げ去ろうとする他の車に、猛烈にクラクションをならされながらの撮影でした。昨年なら、別に、攻撃に巻き込まれなければいい、と腹をくくれたのですが、今は、外国人の姿を見かけると、向こうから狙って撃ってくる可能性が高いので、よけいです。

 そういえば、僕らがいるパレスチナホテルとシェラトンホテルにいる外国人ジャーナリストが、武装勢力の明確な標的になっている、という情報があります。従業員や出入りのイラク人から、ジャーナリストの状況に関する情報を、金で集めている連中がいるそうです。さらに、この月末には、この両ホテルに対する爆弾テロの計画もある、という警告も届いています。……

 今日は、休日の金曜日、静かだと思っていたのですが、つい先ほど、ホテル内の支局の中で、同僚と作ったハンバーグの夕食を食べていると、戦車の砲声のような爆音が3発、響きました。それに続いて銃声も。爆弾には慣れっこになっても、戦車の砲声はまだ、非常に珍しい。戦車でなく、RPGか何かかもしれませんが。それでも、昨年の夏から秋にかけてのように、毎晩、銃声が聞こえ、すぐそこで、きれいなマシンガンの銃弾の光の帯が見える、というようなことがないだけ、ましな気はします。

 昨年、初めてイラク入りした時には、こうした爆音にいちいち、どきどきしていたのですが、今は、すっかり慣れっこになってしまった自分が怖い気がします。前回の3カ月のイラク滞在後、日本でしばらく大きな物音に怯え、テロリストに殺される夢を何度もみたのがうそみたいです。

2004/6/25
 今日は金曜日、朝からやっぱり静かです。昨日の総攻撃では、死者100人突破とか……。武装勢力もイスラム教徒、金曜日は休むのでしょうか。先週も、金曜日は攻撃がなく、静かでした。静か、というのは、イラク人には一番の驚きですが、日本の新聞のニュースには、なりませんよねえ。

 でも、最近の攻撃では、死ぬのはイラク人ばかり。米軍はすっかり最前線からひいていて、弾雨の中に立つには、イラク軍兵士やイラク国家警備隊員、イラク警官ばかり。もういいかげん、やめてくれないだろうか……。

そういえば、米軍兵士の警備に混じって、最近は、イラク軍兵士の警備をよく見かけるようになりました。米兵には唾をはきかけていたイラク人も、イラク軍兵士の警備を見て、拍手喝采。僕もなぜか、そんな気持ちになります。米兵のように、銃を乱射したり、乱暴したり、しないんじゃないか、という勝手な期待があるんでしょうが、

 でも、やはり兵士は兵士。反軍思想というのは僕は持っていないんですが、イラク軍兵士も1年前までは残酷な暴力集団だった訳です。一度、暴力的に屈辱を加えられると、反射的に米兵をみるとそのときの屈辱が蘇ってしまいますが、イラク軍兵士がそんなことをしない、という保証もないんですよね。

 日本に長年あった自衛隊員への嫌悪も、戦時中の日本軍の行為に対する根強い記憶があったせいでしょうが、日本では、それも消えてしまった。それはきっといいことなのでしょうが、やっぱり、兵士は生きるか死ぬかの戦場で追いつめられると、他者に対して暴力的になる存在。それは兵士のせいでも何でもないんですが、そのことだけは、忘れてはならないと、思います。

 米兵はものすごい安月給です。こないだ裁判にかけられた20台前半の若い兵士の給料は、イラク派遣手当を含めても、確か、1800ドルほどだった。話せば本当に陽気で楽しい連中で、中には英語が話せない米兵さえいる。戦車にのって警備している兵士は、背も小さく、僕よりも弱そうにさえ見えます。

 だから僕は、米兵の横暴を見るたびに、その向こうにどことなく間抜け顔のぼーやみたいなブッシュや仮面ライダーの死に神博士みたいなラムズフェルドや、KKKの陰の主宰者みたいなチェイニーの顔を思い浮かべるようにしています。悪いのはそう言う連中であって、個々の兵士は戦場の恐怖に追いつめられているだけだ、と……。毎日毎日、確実に同僚が死ぬ職場にいて、追いつめられないでいろ、という方が、どだい無理ですよね。

2004/6/24
 今日は、朝から総攻撃が始まっているのを知らず、内務省近辺に取材に行き、路上で警官に話を聞いたりしていました。外に身をさらすのは非常に危険だったのですが、まあ、相手が警官なので、いきなり誘拐や銃撃はされないだろうと、腹をくくって。でも、明日以降、さらに本格的な攻撃をしてくるというので、バグダッド中がぴりぴりです。

 ただ、各地の戦況について、アラビア語放送などをモニターしてもらっていたイラク人助手に、今日の午後、「何か、その後、ニュースは?」と尋ねたら、「ニュース?ニュースは大したものないよ。爆弾?攻撃?ああ、あれはイラクでは日常。ニュースじゃないな。それより、先週の金曜日のように、一発も爆弾が破裂せず、一発も銃声がしないことの方が、よっぽど、ニュースだよね」と言われてしまいました。

 確かに、毎日、あまりにも人が死に、あまりにも爆弾が炸裂し、あまりにも銃撃が起きすぎて、平和な日がすごい珍しいのです。台風の目の中のように、確かに先週の金曜日、何にも起きなかった。確か地方では多少、暗殺か何かで人が死んでいたけれど。いったいだれが、イラクをこんな国にしてしまったんだ!……と、改めて、思ってしまいます。

 
2004/6/23
 今日、日本から送られてきた他社の新聞を読んで、改めて驚いたのですが、確かに、イラク情勢が何にも書かれていない。友人が、イラクはもう落ち着いてきているのかと思っていた、とメールをくれたのですが、確かに、そう誤解されても仕方ないような紙面でした。短くてもいいから、毎日、ここでいったい何が起きているのか、知ってもらえたら、と思います。

 今日も、近くの路上で米兵を狙った爆弾テロがあり、巻き添えで親子3人の乗った車が爆発、子供と親の2人が死にました。イラク五輪委の招待で、オリンピックスタジアムの取材に行った同僚は、来ていたのが、イラク人記者だけだったので驚いたと言って帰ってきました。ついでに、スタジアムを出たところで、迫撃砲弾がひゅんひゅんと飛び交う武装勢力と米軍?の交戦に出くわし、命からがら帰って来たそうです。

 そう言えば僕も先日、取材の帰路、高速道路上で爆発炎上する米軍の運搬用トレーラーを見つけ、写真を撮影しました。爆弾攻撃を受けた直後で、米兵はすぐに逃げたらしく、現場には燃えさかるトレーラー以外何もなし。イラク人も、さらなる爆発や銃撃を恐れて誰も近づいていません。一方通行の高速道路上を走っていたのですが、正面から何十台もの車が逆行し、パッシングしながらこちらに向かっき始め、黒煙がもくもく見えたので、何かあったんだな、とはすぐに分かりましたが。

 こういうことが、毎日毎日、この支局の半径数キロの範囲で続発しています。これが今のイラクです。こんな状態で、いったい、まともな社会経済活動ができるでしょうか。

 ところが、昨日、運転手が罰金をくらって帰ってきました。後ろの僕らが座る後部座席の窓ガラスに、襲撃や誘拐を考えている者から見つからないようにと、カーテンをつけさせているのですが、これがCPAの定めた法に触れる、というのです。CPAは、襲撃者がこのカーテンに隠れて、米兵を襲う、というのを理由に挙げています。でも、米国人やCPA要員の乗る車は、後部座席どころか、運転席も真っ暗。この国では、当然ですが、なお、CPA、米国は超法規的存在、なのでしょうか。(とーぜん、補足条項か何かで、例外規定は設けてあるのでしょうが)おかげで、僕ら一般外国人は、車内で身を隠すすべを失ってしまいました。困ったことです。

 韓国人の会社員が殺されました。日本人は記者と大使館員以外消えてしまったバグダッドですが、確かに、韓国のプレゼンスは相変わらずすごいものがあります。あの、何人もの外国人が相変わらず殺されている魔の空港道路上にも、新しいサムソンの携帯電話の看板が立っていたのには驚かされます。それどころか、サムソン携帯電話の看板は、今、バグダッドで、続々と林立しているのです。どう考えても、イラク人の代理店にやらせるだけでは無理なくらいの規模です。バグダッドを、サムソンの看板で埋めてしまおうと思っているのじゃないかと言うくらい、辻辻に、それこそ、こんな住宅街の奥にまで、というくらい、看板が立っています。戦争を恐れないビジネスマン気質、というのでしょうか。これは一回、取材して記事にしたいと考えています。

 貴男が前のメールで、「イラク側が本当の敵を見失っている……」と書かれていましたが、これは正確ではありません。イラク側、というのが、そもそもの誤解です。これも何度も書いてきたのですが、
一連のテロにはいくつかの種類があり、それぞれ、やっている勢力が違うのです。
@自爆テロと首の切断・殺害を伴う外国人誘拐
A米軍に対する攻撃
Bイラク政府高官、大学教授、米軍の協力者(警官、軍の労働者)の暗殺
C4月に頻発した日本人を含む外国人誘拐→その後、釈放
D日本人ジャーナリストを殺害した過激派
の5種類くらいに分かれます。

 最も残虐で、最も一般のイラク市民の巻き添えを意に介さないテロが、今回の誘拐とその後の虐殺、そして自爆テロです。この実行犯は、かなりの確率で、外国人です。なぜなら、イスラム教で自殺は厳禁されており、それをあえてやるには、特別の宗教指導者によるファトワ(宗教見解)が必要で、イラク国内でそれが出た形跡がないのです。

 さらに、自爆テロはきわめてよく訓練されています。どこかの国の訓練基地で、洗脳を含めて周到に訓練されないと不可能なほど、鮮やかな手際の良さです。なおかつ、遺族に対する手厚い経済的補償が必要で、それには大金が必要です。おまけに、高性能で大量の爆薬の調達能力も必要です。また、誘拐して、交渉の余地なく、首をはねるやり方は、これまでイラク人の武装勢力にはなかったものです。何よりイラク人は、バース党時代に世俗化が進んでおり、自爆テロという手法は取られたことがほとんどないということもあります。

 今、言われているのは、自爆テロ犯は、サウジ国内で訓練され、おそらくはサウジ政府の黙認で続々とイラクに送り込まれているのではないか、ということです。それと同じ組織が、韓国人の誘拐、殺害もやったと見られています。この連中は、十中八九、イラク人ではない、ということです。

 これにさらに、周辺諸国の秘密警察や情報機関がからんだ破壊工作が絡んでいます。イラン、シリア、サウジは、イラクが米国流に安定することを決して望んでいません。不安定になればなるほど、いい、という面がある(もちろん、過度の不安定はやがて自国にもはねかえってくるので、その辺が微妙なところですが)。

 Aの米軍への攻撃は、これが一番最初に始まりました。スンニ派三角地帯の中で始まり、やがてシーア派の中にも拡大。今や、全土で毎日、米兵が殺されています。これは明らかにイラク人で、数人のゲリラとはインタビューにも成功しています。彼らは明確に、ターゲットは米兵であり、イラク人を殺すようなことは絶対にしない、と明言しています。彼らは住民にかくまわれ、旧政権が放置した武器を隠し持ち、住民の通報で米軍の動きを知り、攻撃しています。

の暗殺の嵐が一番のなぞです。旧政権の情報機関がやっていると見るのが一番、妥当で、この種の暗殺は、旧政権時代にも頻発していました。フセイン政権下に力を持っていた情報機関の残党が、今もなお、強力な組織力と実行力を持っている、ということのようです。そしてその一部が、新政権に入りこもうとしています。

 Cの日本人誘拐などを実行した連中と、今回の韓国人誘拐犯とが同一視されがちですが、根本的に違います。日本人誘拐犯は、ほぼ間違いなく、ファルージャ、ラマディの連中です。当時、数百人単位で、彼らの同朋が米軍の空爆で殺されていた。そのための反撃手法です。だから、彼らは、誘拐という手法はいかに非常手段としても、イスラム教の教えのうえでは、認められない、という宗教指導者の説得に素直に応じたのです。アルカイダやテロリストとは無関係の、レジスタンスと言っていい人たちです。

 想像してみてください。米軍が、故郷の街を包囲し、いきなり民家や市場にぼんぼん、空爆してきたとしたらどうするか。それまで我慢していた町中の若者が武器をとり、あちこちに立てこもり、米兵に攻撃を始め、その若者を包囲した米軍が、あらゆる武器を使ってそれを叩き潰しにかかったとしたら。

 それを助けようとする者が現れ、誘拐という手段をとっても、何ら不思議ではないと僕は思います。ファルージャで起きたことは、1年前のデモの市民を射殺した米軍の行為に対する復讐に始まり、その後の双方の復讐合戦の末に、力の強い方が我慢の限度を超えてしまい、空から爆弾をばらばらと降らせた、ということに尽きるのです。彼らの行動は、地元の宗教指導者のファトワにも基づいており、決して無秩序な行動でもなかったのです。だから、宗教指導者委員会の説得に応じる余地もあった。

 ただし、僕はあまりこのファルージャのレジスタンスに同情することができませんでした。昨年、何度もラマディ、ファルージャに行きましたが、どう考えても、あそこの住民は、僕らより豊かです。まして、シーア派の住む地域に比べれば、雲泥の差がある。住民は、旧政権をこよなく懐かしみ、その特権を享受した時代を賛美するのです。多くが旧政権の高官や旧軍の幹部であり、車を支給され、高給をもらっていたようです。住民にシーア派が何万人とフセインに虐殺されたことを聞いても、彼らは国を裏切ろうとしたから当然だ、と平然と言うのです。ここが、ベトナム戦争などとは違う部分だろうと、僕は思っています。

 D最後のこの過激派は、地域的な存在のようです。彼らが殺された場所は、すでにポーランド人ジャーナリストや外交官、CNNスタッフが何人も殺された場所。知っていれば決して外国人は力よらない場所です。そこに堂々と、しかも一目で外国人と分かる大型4駆車で入り、おまけに、橋田さんは襲撃される直前、それまでスモークガラスのある後部席にいたのに、どういう訳か、スモークのない助手席に移っていたようです。後ろから追いついた襲撃者の車は、彼らを追い越して前につき、しばらく車の中の様子を確認したうえで、外国人が乗っていることを把握し、撃ってきたと、つい先日取材した生き残りの運転手が言っています。

 長くなりました。ただ、そう言うわけで、イラク人は決して、敵を誤っていないことを、知ってほしいと思います。ここで起きていることは、混沌としているようで、実はそれぞれの勢力が、それぞれの思惑があって、やっているのです。どっちにしても、大混乱ではありますが。

 イラク人が、ブッシュ氏の演説を聞いてこんなことを言っていました。「テロとの戦いが成功した?米国からテロリストを追い出すことに成功しただと?米国は、自国から追い出したテロリストを全部イラクに閉じこめているだけじゃないか。ブッシュの言っているのは、米兵をイラクに置いて、テロリストをイラクに釘付けにして、イラク人の犠牲の上で、米国を守っているという意味じゃないか!」
僕もそう思います。すでに1000人近くが死んでいる米兵も、気の毒ですが……。

2004/6/21
 最近のバグダッドをお伝えします。支局の人員が増えたので、事件に追われることなく、外出できるようになり、こわごわですが、あちこち出歩いています。最初の日は武装護衛もつけたのですが、鬱陶しくて、そのうち僕はつけなくなりました。

 相変わらず、バグダッド市内は大渋滞です。三車線の高速道路のような一般道路が縦横に延びているのですが、あちこちで、米軍が遮断していたり、銃撃戦が起きて通行止めになったり、自爆テロで通行止めになったり、米国人が拠点にするホテル前が通行止めになっていたりで、慢性的な渋滞になっています。気温が毎日45度を超えるので、クーラーもほとんど利かず、体に応えます。

 最近は省庁をくまなく回って、その様子を取材しています。最大の変化は石油省でした。昨年のバグダッド陥落直後、他の省庁が軒並み略奪で完全に破壊される中で、石油省だけは無傷で残りました。米軍が真っ先にここを保護したからです。その後も、米軍戦車が固め、米兵がにらみを利かす占領の象徴でした。そこが今は、米兵が一人もいない。

 中に入ってさらにびっくり。エレベーターホールの壁に、堂々の反米ポスター。ファルージャで米軍は700人ともいわれるイラク人をこの4月に虐殺しているのですが、その際のことをイラク人は「ファルージャ蜂起」と呼んで、米軍への抵抗運動の象徴のように語っています。その蜂起をたたえるポスターです。各階の非常階段の扉にも、反米ポスターが張ってあります。堂々たるもんです。

 石油省職員に聞くと、この4月に米兵は去り、イラク警察のみの警備になった。その直後に、ポスターがはられた。ファルージャ蜂起は正当な行為であり、米軍を批判するのも正当であり、はがす必要はまったくない、と言い切りました。

主権移譲後にも、米国は、顧問を置いて石油省を実質的にコントロールすると言っていましたが、今、すでに顧問もいません。そんなものは置かない、と石油省は言い切っています。それに、省内で1人だけ、米国人らしい欧米人が来ているのを見たのですが、ものすごい重武装の欧米人警備員に守られて、おそるおそる、訪ねてきた、という状態。

 石油省に行く道中で、こないだも、欧米人ら外国人5人が殺される自爆テロがあったばかりで、危なくて来ることができなくなっているためのようです。テロのせいで、外国人が来ることができず、それが実質的にイラク省庁の独立を促している、といえそうです。

訪ねることができた省庁の中で、米軍が堂々と出入りしているのは、バグダッド中央警察だけでした。しかし、ここのナンバー2が僕に言ったせりふは「あいつらは、我々の車さえ捜索するんだぞ。この米軍支給の制服を早く脱ぎたいよ」。このナンバー2の話はとてもおもしろく、いずれ記事にするつもりです。

 イラク人の反米感情は、もう沸点をとうに超えているようです。あまりにも米軍は、イラク人を簡単に殺しすぎた。米兵はここでは、鬼畜生のたぐいです。その姿を見るだけで、怒りや憎しみしか感じない。

 僕自身、なんどか米兵にはひどい目に遭いました。つい先日も、最も外国人対するテロが続発しているバグダッド近郊の道で、米軍が戦車を置いて検問をしていました。僕らの車が止められ、車を降りろと言われ、完全武装の米兵に身体検査。もう、何百回も受けているので、慣れたものなのですが、この日は違いました。僕はザックに一眼レフをいつも入れて持ち歩いています。そのほか、使い捨てコンタクトをしているので、誘拐された時に備え、ちゃんとめがねも入れて持ち歩いています。そのザックを持って車を降りると、米兵が強引に奪おうとする。
「おい、やめろ、デジカメが入っているんだ、丁寧に扱え」、というと、
「なんだ、このファック野郎、こんなファキングバッグ、さっさと出しやがれ、
それとも、ファッキングプリズンにぶち込まれたいのか!」と言って、
銃を僕に半ば突きつけながら、強引にザックを奪い、路上に放り投げてしまいました。
(英語は正確にどうだったか、覚えていないんですが、まあ、概略、そんな言い方でした。とにかく、ファックばっかり)
その強引さ、その恐怖、その屈辱感……。もう、それまでの慣れた気分は吹き飛んで、怒りの固まりになってしまいました。

 「おい、デイビッドさんよ(米兵は左胸に名前を張ってある)、いいかげんにしろよ、ここはアメリカじゃないぞ。危険はわかるし、米兵がたくさん殺されているから、ナーバスになっているのはわかるし、それを何とかしようと検問しているのも理解しているから、協力しているんじゃないか、それを何だ、その態度は。ここはイラクだぞ、いいかげんにしろ!アメリカで外国人に同じことされて、おまえは怒らないでいられるのか!」と、思いっきり怒鳴ってやった。

 どういう訳か、僕の英語がつたなかったのか、他のサングラスの米兵がなだめるように、大声で「協力ありがとう、シュクラン(アラビア語のありがとう)」と言ってきたので、とりあえず、それでその場は収まったのですが……。
イラク人の助手と運転手がおろおろして、「いいから、モンクを言わないで、黙って従って」と必死になって僕をなだめようとしていたけれど、もう、こうなったら連行でも何でもしやがれ、という気分で……。

 米兵は、この調子で、イラク人の家に真夜中に押し入り、男を殴り倒し、手錠で縛り、女を銃で脅し、家の金を盗み、家具を壊し、ついでに、貴重な食料の配給票まで持ち帰ってしまいます。
時にはその捜索のさなかに、誤ったような振りをして近所の子供を射殺することさえ、やっています。これ、全部、記事にしてきたのですが、やはり、訴え方が足りないのでしょうか……。日本の知り合いにこの話をすると、いつも驚かれてしまいます。

 たまに来る僕でさえ、怒りを感じないではいられないのに、普通のイラク人の怒りは想像を絶します。米軍は昨日も、無差別殺戮をやりました。何の根拠もなく、民家にミサイルをぶち込み、20人を殺害したのです。これも、ほとんど毎週のように起きている。こんな大量殺戮を毎週やられて、怒らない国民がいるでしょうか。そこに、ザルカウィがいたから、と米軍は説明しました。しかし、遺体はすぐに埋められ(それがイスラムの習慣です)その証明の方法もない。せめて、その説明が本当だったことを、願うばかり。でも、これまでも何度も、ザルカウィを口実に、こうした虐殺が続いているのです。

 なにより、米国人がテロリストに殺されると、いつも必ず、こういう報復を米軍はやるようです。サウジで米国人がクビをはなられ、その残虐な様子がネットで流れたので、米軍は何か報復やると思っていたらこれです。ファルージャで700人が殺された事件では、イラク人の被害がどんどん増えるさなか、イラク人が、「あの殺されて吊された米国人護衛4人の報復のつもりなんだろうが、
米軍は米国人1人につき、100人のイラク人を殺すつもりなのか!」と叫んでいました。しかし、1につき100人どころではなかった。700人を超えたと言われているわけですから。実際には1000人を超えた、という数字もあります。この大量殺人を、国際社会はどうしていつまでも放置するのか。いつまであの狂気を許すのか。現代社会で最悪のテロリズムを実行している集団が米軍だと、イラク人はよく言いますが、それに反論する言葉はありません。

米軍が今戦っているファルージャの人々は非常に世俗的で、行けば分かるのですが、非常に豊かです。僕はファルージャのカバブ屋が好きで、ラマディやファルージャに取材に行くたびに、立ち寄っていました。もう、6、7回は行ったと思います。そこには、御殿のような、アラビアンナイトに出てきそうなお城のような家に住んでいる人が多い。それは旧政権の特権階級だったからです。

 今は、そういう御殿のような家を隠れ家に、米軍を攻撃するゲリラが活動しています。もとより、彼らはアルカイダとは何の関係もなかった。そして米軍が来るまでは、テロなんかやる必要さえなかった。米軍が来て、昨年5月だったかに米兵がデモ隊に発砲して10何人を殺して以来、米兵への報復の攻撃が始まった。それに対する米軍の報復みたいな事があり、その報復合戦が1年も続き、とうとう、米軍はこの4月、大規模空爆まで踏み込んでしまいました。どうしてそれが、アルカイダやテロリストなことがあろうか。どうやって説明すれば、これが「テロとの戦い」といえるのか。

 今、米軍と戦闘しているサドル派もそうです。元々、サダム政権下で虐げられ、大勢が虐殺され、今も、無職で貧しいまんま、放置されているのがシーア派の、中でもサドル派に集まった若者です。かれらこそ、まさに、テロやアルカイダとは無縁の人たちです。1年前、サドルはの牙城、サドルシティーの人たちは、米軍戦車を歓呼して迎えました。いっしょに写真に収まり、自宅に迎え、食事まで振る舞っていました。その写真を僕は見せてもらったことがあります。本当に、サダムを駆逐した米兵を、英雄として迎えていました。あちこちに、米軍に感謝する横断幕があったのです。

 それが、なぜ、今、武器をとって、戦っているのか。毎日毎日、20人、30人と、犬のように、米軍に一方的に殺されているのに、なお、攻撃をやめません。誰か、なぜ、そこまで彼らを追いつめたのか。答えは簡単です。僕のような屈辱を、あまりにも大勢のイラク人が、日常的に、1年間、味わい続けたんです。それも、殺害、投獄、拷問、それに米兵による盗みまで、含まれています。国際赤十字は、拘束されたイラク人の6ー9割が無実だった可能性があると指摘しています。
 僕が取材した中でも、確実に無実だった人が大半です。これはもう、異常というしか形容の仕方がない。復讐の虐殺であり、狂気の投獄であり、人間性の蹂躙です。

 でも、こっちで買ったDVDで、プラトーンを昨夜、パソコンで見たのですが、ベトナム戦争でも、同じようなことを米軍はやったんですよね。僕がティクリートの村で見たのと同じ事を、ベトナムでやっていたんですね。どうして、学ばないのか。学ぶつもりがないのか……。

 かつては平気で(楽しみながら!)見ることができたハリウッドの米軍礼賛映画が、今では見ることができなくなりました……。でも、僕は別に、反米でも、反戦でもないんです……。ぼくのいるホテルを警備している米兵と、時々話すのですが、彼らもまた非常に貧しい。給料なんて、若い20代前半の兵士だと、イラク派遣手当を含めても、2000ドルなんですよ!それがないと、1800ドルくらいだったりする。CNNの手当が1日1000ドルといいます。サマワの自衛隊が、イラク派遣手当が1日2、3万円と聞きました(正確には忘れましたが)日本のテレビ局が1万円、某通信社は5千円、うちは……1300円……。マクドナルドの時給の2時間分くらいでしょうか。これだけ命を危険にさらして、これだけ……。

 これだったら、何の攻撃もない、たまーに迫撃砲で撃たれて大騒ぎしているような、イラクでもっとも平和なサマワにいた方が、いいのかもしれません。事件もないし、ほとんど宿営地に閉じ籠もっている我が自衛隊の取材をする方がよほど、いい。ヒマだし、安全だろうし、ここのように、毎日毎日、爆弾の音を聞かなくてもいいし、誘拐や狙撃、襲撃を恐れてびくびく出歩く必要もないし。

 一部で、新聞社などの日本のマスコミがサマワを撤退した、と批判する記事がありましたが、サマワを撤退したのは、危ないからというより、ヒマだから、です。少なくともうちの判断はそうでした。他社は知りません。なぜって、バグダッドの方が、何十倍も危険な訳ですから。サマワが危険というなら、バグダッドには絶対にいられません。この支局の周囲2キロ以内で、この1週間だけで、何十人が殺されたことか。サマワでこんなことは一切、起きていません。

またまた長くなりました。少しでも、イラクで起きていることの理解が深まればと思っています。

追伸
今日はパレスチナホテルが脅迫されていて、助手が誰もホテルに来られない。困りました。たびたび爆破予告があるんだけど、今回はかなり大げさです。

2004/6/13
追伸:
 やはり爆発音は、自爆テロを含むテロでした。3発くらいの爆発があり、計20人くらい死んだようです。CPAとイラク警察と……。音を聞いて被害が予測できるようになったら、本物だぁ……って、自分で感心しています。

 停戦中のはずのサドルシティでも、マフディ軍と米軍が交戦して10何人死んでいるし。もういいかげん、無用の流血はやめてほしい……!!!米軍がいなければ、死ななくて済んだ若者が、どんどん死んでいく!サドルシティのマフディ軍の若者は、サダム時代に弾圧で大勢死んだシーア派の人たちです。差別のために経済発展から取り残され、仕事もなく、非常に貧しい。

 米軍がバグダッド入りを果たしたとき、歓呼して戦車を迎え、いっしょに写真に収まり、米兵を自宅に迎えて食事をふるまった人たちです。誰よりも米軍によるイラク解放を歓迎し、ブッシュに感謝した人たちです。それが、米軍による度重なる武器狩り、無実の拘束、拷問、虐待、盗みの末に、こうなってしまった。イラクでは、あのアブグレイブの拷問は常識でした。僕も、昨年夏から何度も記事に書いてきました。写真が出てやっと国際的に認知されただけの話。

 あの貧しい職のない追いつめられた若者たちを殺すことの、いったいどこが「テロとの戦い」なんでしょうか?9/11の報復にさえ、なっていない。今や米軍は、サドル師の肖像画さえ許さない。肖像を掲げる家に戦車で押し掛けて行って、絵を引き剥がしている姿を、僕は目撃しました。
戦車ですよ!武器を持たない市民の家に。

 想像してください。自宅に戦車が来て、重武装の米兵が銃口を向けて、「その絵をおろせ!さもなければ拘束する!」というんです。実際に、絵の撤去を拒否すれば、次々に拘束しています。
あれはほとんど、中世の魔女狩りです。あるいは、長崎の隠れキリシタン狩りで、踏み絵をさせているのと同じです。これがつい先月末のできごとなんです。

 僕は昨年9月、ティクリートの村の長に言ったんです。
「どうして日本人は、ヒロシマナガサキの屈辱を受けているのに、復讐しないんだ」
、と尋ねるその長に、
「いやいや、日本人は暴力も流血も、もううんざりだったんだ、その代わり、経済力をつけ、米国を脅かすまでになり、復讐をとげたんだ、イラクにもサウジ並みの石油がある、これを武器にして、今はじっと我慢して米国にはいはい、と言って置いて、じっくり何年もかけて、経済力で見返してやればいいではないか、これ以上、若者を死に追いやるべきではない」と。

 僕は本当は、経済力で米国に復讐、なんて考えている訳じゃないんだけど、とにかく、流血はやめるべきじゃないかと言いたくて、そう言ったんです、すると、村の長は、「そんな考え方は絶対に受け入れられない。とにかく、米兵の最後の1人がイラクの土地を去るまで、我われは戦わなくては行けない」と繰り返すばかりでした。村長ではなかったけれど、長老格の威厳のあるイラク人でした。自宅に招かれ、昼食、といっても最高の客をもてなす鶏肉料理を振る舞われ、夕方まで話し込みました。

 イラク人は日本の歴史、特にヒロシマナガサキのことはよく知っています。これは僕が経験した話じゃないんですが、同僚は、ある部族長と、米軍による武器狩りの件で話をした際に、なぜ、そんなに米軍の武器狩りに抵抗するのか、という話の中で、言われたそうです。
「日本人も、サムライが、刀狩りで抵抗して、西南戦争を起こしただろう。あれと同じだ」と。
西南戦争という言葉まで知っていたのかどうかは分かりませんが、とにかく、日本はよく知られています。

昨年のイラク特措法で、国会議員が机によじのぼってけんかしている場面は、こちらではトップニュースで連日流れていましたし。苫小牧や、名古屋の爆発なんかも、トップニュース。イラク人はみんな、日本のアニメを見て大きくなっているし。アラビア語の名前が日本語と違うので、よく日本アニメの話をされてるのですが、よくわからない。でも、今でも古い日本アニメが、アラビア語吹き替えで毎日、流れています。

長い追伸になりました。それでは。

2004/6/13
 今日は休刊日、1カ月に一度、心おきなくさぼれる日です。昨夜は夜更かしして、パレスチナホテル前でイラク人が売っている、タイ語や中国語、マレー語の字幕が選べる海賊版DVDを5ドルで買い、ロードオブザリング最終回を堪能しました。

 しかし、早朝からでっかい爆発音でたたき起こされてしまいました。といっても、8時半ですが。
かなり近い場所だったので、これはまた、どこかのホテルか省庁か……。死者は10人くらいかな……?そんなことを考え、それでも休刊日、このホテルの周囲の無事を窓から確認して、さ、もういっかい、寝よっと。

 しかし、1時間もすると、今度は、米軍へりがこのホテルの周辺をぶんぶん飛び回る音で、たたき起こされてしまいました。僕のいる11階の部屋の窓のすぐ横を、小さなへりが何機も通り過ぎるのが見える。乗員が、身を乗り出し、銃を構え、足をへりの足にかけているのが見えます。何を探しているのか……。せっかくの休みをじゃましないでほしい……。

 昨年の夏、ここにいたときには、爆発にいちいち反応し、カメラを構えて外に飛び出し、現場で取材していました。あのころはまだ、爆弾テロが非常に珍しかったんです。パレスチナホテルの周りにも壁などなく、車で玄関まで自由に来ることができた。しかし、今は、危なくて出られない。爆発自体の数も多すぎて、ニュース性も薄れてしまったし。

・・・・略・・・・

 イラクの情勢は、一定の段階を経ながら、確実に悪化しています。その区切りになる事件を事前に知り得なかったと言って非難するのは、おかしなことです。おおざっぱにいって、日本人にとっての情勢の変化は、
@昨年8月のヨルダン大使館爆破事件と国連爆破テロ:最初の爆弾テロがヨルダンで、国連テロで、米兵ではない一般外国人が自由に動けなくなった。
A昨年11月の日本人外交官殺害事件:これ以降、日本人も自由に動けなくなった
B今年3月末のファルージャ動乱と人質作戦の開始:これ以降、外国人への無差別テロがと誘拐が各地で激化。と3段階があります。

 あの3人の人質は、このBの情勢が始まった直後にイラク入りしています。その急激な情勢の変化を十分に知り得なかったからといって、彼らを決して非難できないことは、もし、イラクに記者を派遣していれば、そして、その現地の記者の声に耳を傾けていれば、簡単に分かったはずです。なによりも、あのイラクを知り尽くしていた井ノ上さん、奥さんでさえ、その危険を避けられなかった。

 あの二人が殺される直前から、外交官に対する殺害事件が頻発していたんです。しかし、十分に対処するヒマがないまま、車でティクリートに向かい、ああなった。今回の人質だってそうです。誘拐作戦が始まったのはその直前、十分に対応する時間を持たないまま、それまでの経験だけで大丈夫と判断し、イラクに向かった。もし、3人を非難するなら、死んだ外交官も、今回死んだジャーナリストも、同じように非難するべきです。自ら記者を派遣した行為も、また批判するべきでしょう。

 週刊誌による、人質のプライバシーをあげつらう報道には、本当にはらわたが煮えくりかえるような怒りを覚えました。週刊誌の記者の知り合いも何人かいて、彼らは新聞記者以上にすごい仕事をしていて、本当に尊敬しているのですが、時に、ああいう異常な牙をむく。悲しいことです。

 僕は、Aのテロがあった1カ月前まで、お二人が殺された場所を何度か往復しています。すでにそのころから、欧米の記者には銃撃が加えられていました。しかし、あの人なつっこい村人ばかりのあの場所で、日本人が殺されるなんて、信じられない事件でした。

 サダムが逮捕されたティクリート近郊の村の隣村で1日滞在したときも、周辺でAPの欧米人記者が銃撃されたと言っていました。しかし、日本人である僕のことは、村人は大歓迎してくれたのです。米兵の非道を訴え、最後の一人がイラクを去るまで我々は戦う、と、泥壁の家に住む貧しい農民が怒って話してくれた。

 米兵は、家宅捜索をしながら、その横にある商店の略奪をしていました。2人の黒人米兵が、やはり泥壁作りの小さな商店に入ってきて、商店主に銃を向け、売り物のたばこ、ジュースから、子供が食べるキャンディーまで、手当たり次第に鷲掴みにし、箱をひっくり返し、店を壊して出ていきました。ジュースの入る冷蔵庫を開けながら、「何でビールがないんだよ、ビールを持ってこい!」と怒鳴ったといいます。その店の惨状を見ると、米軍は、自ら望んでイラク人を挑発し、攻撃を誘発しているとしか思えませんでした。

 取材中にも、近くで爆弾が炸裂し、大きな雲が空にのびてあがっていきます。村人は、あれは米軍が我々を怖がらせるためにやっているんだ、と言っていました。訪れた日の前夜に米軍がやってきて、男という男を、それこそ14歳から80歳までを拘束し、後ろ手に縛り上げ、トラックで連行していったそうです。もう一人では歩けない爺さんが、銃でこずかれ、顔を殴られ、痛々しい顔でうめいていました。住民は、この爺さんは100歳を超えているというのですが、
おそらくは80歳くらいだろうと思います。

 周辺の麦?畑だという畑には、ハンビーと呼ばれる米軍車両が、作物をなぎ倒した跡があちこちにあります。遠くには、ティグリス(ユーフラテス?)川をはさんで、壮麗な大統領宮殿も見えました。その村にも、今は絶対に近寄ることができません。

 イラク人は非常に礼儀正しく、人なつっこい人々です。それに、基本的に泥棒がいない。ものが盗まれない。戦争直後の略奪が印象に残っているので意外かもしれませんが、事実そうです。以前、1000ドル近い衛星携帯電話をアイスクリーム屋の店先のベンチに忘れたんですが、ちゃんと戻ってきました。

 ベトナムに語学留学で1年いた間には、ホテルでも自宅でも何度も盗難をみかけましたが、ここでは聞いたことがない。平気で部屋の机の中に、何千ドルもの現金を放置しているし、高価なパソコンやカメラも机の上に置きっぱなし。でも、同僚も含めて何も起きたことはない。唯一、モノが盗まれたのを聞いたのは、CPAに務める米国籍のイラク人学者が、CPAの中で、パソコンを盗まれた、と言って騒いでいたことだけです。あそこには、イラク人は基本的にいないですから。ただ、ものすごく誇り高く、自らの誇りを非常に大切にする分、その誇りを傷つける人間に対しては、何年かかっても、復讐する。

 イラク人の多くは、その家族親類知人友人を、米軍によって殺されています。その数はますます増えています。戦争が終わってもうそれを忘れようとしているのに、家宅捜索を受け、殴られ、盗まれ、ものを壊され、戦後にもそういう経験をした人が、本人か、その親類縁者の中に必ずいます。その怒りにはすさまじいものがあります。イラク人にとって、米兵に対する攻撃は、完全に正当な行為なのです。

 沖縄で米兵が少女を暴行した時のことを思い浮かべてみればわかると思います。あれ以上の暴力が、普通の市民の身の上に、毎日、毎日、もう1年以上も、続いているのです。あるNGOは、戦後から今年1月までで、イラク人約1万人が、米英の占領からみで殺された、と計算していました。今はそれをさらに何千人も上回っていることでしょう。

 しかし、そのイラク人も、国連やNGOの外国人、そして日本人記者だけでなく、同じイラク人が毎日毎日、自爆テロや銃撃で殺されるようになった今の情勢には、恐れおののいています。もう、誰が何の目的で、こんなことをするのか分からなくなってしまっているのです。とにかく誰でもいい、片っ端から人を殺せ。そういう状態です。

長くなりました。すいません。この辺でやめにしておきます。それでは。
                              バグダッドにて Y

2004/6/11

今日、バグダッドに入りました。来るたびに悪くなる状況が、やはり、今回もいっそう、悪くなっていました。空港から市内までの道で、先週だったかに、ポーランド人警備員が乗った車が銃撃され、死亡する事件が起きたのですが、まさにこの道を通らなければ、市内には入れません。

3、4月の誘拐事件以降は、武装警備員の護衛付きで移動していたのですが、今回から、とうとう、武装警備員が、僕の車に同乗することになりました。車に乗ると、後ろの座席に放置された警備員のカラシニコフ自動小銃を足で踏んづけてしまいました。安全装置はしてあるんでしょうが、暴発したらと少し、ひやりです。何度かカラシニコフ銃を構えたことはあるんですが、やはり、銃は見たくありません。

警備員は屈強な男です。英語が通じず、軍歴は不明のままでしたが。車の後部ドアには、防弾チョッキを1着ずつ置きます。気休めですが、数発、ドアを撃たれたくらいなら防げる態勢という訳です。さらに、頭にはイラク人がよくかぶるチェッカーフラッグのようなかぶり物。これで準備は完璧、あとは、130キロくらいでぶっ飛ばして行くだけ。その横を、米国人らしきVIPが乗った、窓を真っ黒にしたランドクルーザーが数台、160キロくらいでぶっ飛ばしていきます。以前はGMCが多かったのですが、あまりにも頻繁に襲撃されるので、日本車に替えた訳ではないのでしょうが。

そういえば、CPA(米英暫定占領当局)の建物に取材に行くと、よく、攻撃されて燃え上がったランクルかGMCかよくわからない車が運ばれるのを見ます。あれ1台で、何人が犠牲になったことやら……。

空港からのランクルには、米英人らしいサングラスをかけた屈強な警備員数人が、自動小銃を構え、無線のマイクを口のところにつけ、分厚い防弾チョッキで身を固め、乗り込んでいます。それと、到着した偉いさんとか、CPAや米国企業のスタッフなんかが乗っているようです。空港道路、ランクル、スモーク窓、とくれば、外国人と主張しているようなもの、それでも、そうした出で立ちで空港を往復する連中の、度胸というか、自信というか。でも、同じ感じの車が、バグダッド市内で頻繁に銃撃されたり、爆発して燃えたりしているので、よくもまあ、と感心します。

僕の車が途中、もうそろそろ、安全、という辺りにさしかかったとき、イラク人警備員が、自分の手にぐっしょりかいた汗をぬぐっているのに気づきました。やはり、イラク人でも怖いようです。警備車両の運転手含め3人の警備員で、30分ほどの道を警備して90ドル。これほど襲撃が増えてくると、これは果たして高いのか、安いのか……。もし襲われたら、僕は当然、命はないでしょうが、彼らももちろん、外国人のために武器を持って働く裏切り者、として殺されるに決まっています。

空港手前までは、以前にはよく取材に来ていました。昨年7月末には、偶然、米軍車両が小型ロケット砲にやられた直後に通りかかり、写真をとりまくり、身をさらして取材したもんです。イラク人襲撃者のことは、怖いと思ったことがなかった。あのころ、一番怖かったのは米兵です。取材していても、向こうが機嫌を損ねると、すぐに銃を向けるし、何かがあると、辺り構わず乱射するから、巻き込まれて殺されかねない。でも、今では、一歩たりとも、車を降りることさえできない。ちょっと車を止めて、その辺のイラク人と話すことさえできない。これはやはり、異常です。

空港の出口も、いつも緊張感に満ちています。長旅でやっと異国に到着した、というようなのんびりムードは皆無。みな、さらなる緊張が待っている、という顔です。僕はいつも、この中の何人かが、ここには戻って来れないんだろうな、と思ってしまいます。

そういえば、良くなったこともあります。昨年10月に初めて空港を使ったときには、空港は米軍の占領下、という感じをまざまざと感じさせました。ロビー内は真っ暗、2階にあるというバーガーキングにハンバーガーを買いに行く米兵も、たくさん見ました。空港に着くと、入り口で犬が待っていて、荷物の全部をかぎまわって爆発物検査をし、さらに股間まで含めた徹底的な身体検査。その上でやっとロビーに入れたもんです。

それが今では、イラク人しか見かけない。警備員も、出入国管理も、みんなイラク人。外国人警備員といえば、ネパールのグルカ人だけです。もちろん、出国で空港に入るときには、欧米人の警備員による通常の荷物検査はありますが、それでも以前ほどではありません。「主権移譲」の先取り、でしょうか。しかし、いつか、空港で爆破事件が起きるのではと、少々心配ですが。

空港内には、喫茶コーナーや売店、土産物屋まで出店していました。通常の空港にあるチェックインカウンターも20ブース以上できており、(使っているのは1、2だけですが)すっかり、空港らしくなっています。おもしろいのは、税金なんか皆無の国なのに、店に「Duty free」と看板が下がっていること。いずれ始まる税徴収の準備、なのでしょうか?バーガーキングに向かう米兵も姿も見かけません。代わりに若いイラク警備兵が、のしのしと歩いています。キング、はどこかへ移動したのかな?

空港で不思議だったのは、なぜか、飛行機の発着を知らせる案内板に、「JAL」とあったこと。80年代にあったJALのバグダッド直行便の名残だそうです。そういえば、パレスチナホテルのすぐ近くにも、「JAL」と大きく書かれた看板が残っています。今はこのボードも文字が消えていますが。

話の順番が逆ですが、飛行機も恐怖です。4回目の僕はもうだいぶ慣れましたが、隣に座ったクウェート人ビジネスマンは、着理時、恐怖で思わず、僕に「おまえは慣れているのか、大丈夫なのか」と聞いてきました。

通常の着陸方法だと、空港外の場所からミサイル攻撃を受けるため、(実際に、何度も攻撃されている)飛行機は空港の真上まで、高い高度を維持したまま近づきます。空港にさしかかると、突然機体を地面に垂直になるまで倒し、それから急旋回を始めるのです。片方の窓からは空港の滑走路を含む地面が広がり、片方の窓からはもちろん、真っ青な空のみ。空港敷地内を範囲に、螺旋を描きながら、こうやって次第に高度を下げるのです。

最後が一番怖い。地面ぎりぎりなのに、降りるべき滑走路は、窓の真横に延びているのが見える。そのまま滑走路の端まできたところで急旋回して滑走路の先端にとりつき、直前で機体を立て直してそのままランディング。あれはかなりのアクロバット飛行です。スリルを味わいたい方は、ぜひ、アンマン〜バグダッドの空の旅だけでも、楽しんでみてください。往復でエコノミー料金で1100ドルもしますが。バグダッド空港に行くだけなら、大新聞や国会議員から、自己責任を問われないかもしれません。

今日はとても静かで、爆音も銃撃音もしません。ファルージャやナジャフで戦争が始まってから、
銃撃に関して言えば、バグダッドはむしろ静かになったような気がします。ただ、爆弾は、そこら中で爆発していますが。さて、主権移譲に向けて、かなりのテロが予定されているそうです。どうなることやら……。

それでは失礼します。長々とまとまりのないメールになってしまいました。
                             バグダッドにて Y
2004/6/9
 お久しぶりです。おとといまで、1カ月半ぶりに3日、休みました。
そして、明日、バグダッド行き、です。今度は4週間近く滞在予定です。
明日はアンマンで一泊し、バグダッド入りは明後日ですが。
バグダッドに行くのは、これで、何回目になるでしょうか。

 昨年7月末、僕は初めてのイラク入りで、車でアンマンを出てバグダッドに向かって走っていました。僕の車は、どういう訳か非常に速度が遅く、エアコンをつけると80キロを切ってしまいました。運転手は、粗悪ガソリンのせいだとぶつくさ。でも追い抜いていく車もみんな、同じイラク国境のガソリンスタンドでいれていたので、うそ、でしょう。
それでも、夜明けまでは寒かったので、よかったんです。夜が明けて10時にもなると、車内は40度を軽く超えていたようです。窓を全開にして走るしかありません。

 当時はまだテロはなくて、怖いのは強盗のみでした。強盗は、アリババと呼ばれます。
この道は、有名な恐怖のアリババ街道でした。もう何度か往復していた同僚の車の真後ろの車が強盗に襲われたり、北欧のテレビクルーの車が身ぐるみはがれたりといった事件が続いていました。ロシアンルーレット状態といわれていたのです。

 イラク国内は夜間走行が危険なので、普通は深夜にアンマンを出発。国境で夜明けを迎え、他の車とコンボイをくんで、バグダッドに向かう片側2車線の砂漠の中の一直線の高速道路を走るわけです。こうしておけば、群れの中の一台が襲われても、他の車は逃げることができる、ということでもないのでしょうが、とにかく、群れていれば安心できるからです。ところが、我が車、アンマンでチャーターした米国製の大型GMCは、イラク領内に入ったとたんに、速度ダウン。エアコンをつけると、80キロを切ってしまう。仕方なく、窓を開けて、90キロほどで走り続けました。

 運転手も怖いのか、確か国境からのろのろ運転で6時間もかかったのですが、一度も休まず、バグダッドまで走り通しました。僕の車を、後から後から、160キロくらいでとばすコンボイをくんだGMCが通り過ぎていくのですが、僕らは置いてきぼり。群れに置いておかれたシマウマは、こんな気分でライオンの餌食になるのか、とそんなことを考えていました。

 僕が、恐怖を味わっていたのと同じ日の同じ時刻ごろに、反対車線をアンマンに向かっていた毎日の記者が、いきなり銃撃された末に車を止めさせら、強盗に金とパソコンを奪われたということを、バグダッド到着後に知りました。(略)

 この同じ道で、その2カ月後、ベトナムの外交官らを乗せた一行が強盗に銃撃され、3人が殺されました。僕は、その事件の1週間前に再び往復していました。そして、今年には、例の高遠さんらが誘拐された道でもあります。今はもう、危なくて通ることができません。

 しかし、強盗の恐怖はともかく、初めてみる砂漠の景色はすばらしいものでした。夕日が大きく見えるのと同じ理屈で、地平線間際の方が、星が大きく見えるなどというのは、砂漠でないと実感できないことだ、などと、のんきに感動していました。

 さて、明後日のバグダッド行きは、勘定してみると、5回目、です。空路は2度目です。でも、空港からバグダッド市内までの道が、すでに、非常に危険になっています。つい数日前にも、ポーランド人と米国人の警護要員が射殺されました。おそらく、空港に到着したVIPを警護するため、迎えに行く途中だったようです。後ろからいきなり銃撃されたといいます。

 僕らも、90ドル払って、イラク人警備員を雇い、車の後ろから付いてきてもらっているのですが、彼らはプロなのかどうか……。旧イラク軍上がりの適当な元軍人、という風情で、米国人警備員のような精悍な感じはありません。かなり心許ない雰囲気です。米国人警備員でさえ殺される時に、身を守るすべは、もはや、ないような気もするのですが……。

 それに、市内のあちこちで、外国人ジャーナリストや警備員、その他外国人が殺されているようです。もはや、バグダッドでさえ、外国人に安心していられる場所はほとんどなくなりました。
かつて亡くなった井ノ上さんが運転する車で、停電で真っ暗な中、しかも、少々酔っぱらった井ノ上さんが上機嫌で運転してくれたんですが、そんな自由はもはや、バグダッドにはありません。
井ノ上さんは、会ったのは昨年の9月なんですが、日本人なら大丈夫、目線を低く、イラク人と同じレベルに合わせれば、なんて言っていたんですが……。

 先日の日本人ジャーナリスト殺害事件で、いったん車を出た小川さんが、「ジャパニーズ、ジャパニーズ」と叫んでいたというのは、まだ、日本人なら大丈夫、という意識が、どこかに残っていたから何だろうと思います。しかし、井ノ上さん奥さん殺害後、そういう意識は持つべきではなかったのかもしれません。

 今や、ホテルの従業員に通じた襲撃者が、ホテル内に爆弾を仕掛けようとしているという情報がある状態です。もはや、安全はどこにもない。町のどこかで外国人の動きを見張る人間がおり、携帯で通報して襲撃させているという話です。完全に、かつてのフセイン体制の秘密警察と同じような雰囲気です。さて、何がどうなることやら……。

 バグダッドからまたご報告させていただきます。
                                 カイロにて。「Y」

2004/5/30  
 (略)バグダッドでは、ますます生活が厳しくなっており、命がけで取材に外出するか、拘禁性のストレスと闘いながらホテルに閉じ籠もるかの選択を迫られている状況です。

 僕はしばしば外出しているので、今回殺されたフリーの気持ちはよくわかります。CPAなど限られた場所以外には、まったく外に取材に出ない、という選択肢もあるでしょうし、現状ではそれも賢明な判断だと思いますが、僕にはできません現場を見、イラク人に直接会わないと、皮膚感覚を失ってしまいます。(略)

2004/5/29
 (略)1日から23日までバグダッドにおり、亡くなった小川さんとは、つい10日ほど前にバグダッドで名刺交換したばかりでした。バグダッドで知り合った人が、次々に死んでいきます。すでに、日本人3人、イラク人1人が殺されました。イラクでは僕もホテルに閉じこもっているのがいやで、毎日のように街に出ていましたが、やはり相当危険だということを覚悟しなくてはいけないようです。(略)

 明日から3連休だったのですが、その1カ月半ぶりの休みが飛んでしまい、次の休みは7月以降……。体力気力精神力、いずれも限界に達しつつあります。仕事がきつい訳では決してないのですが……。

2004/3/13

 
(略)また現地から報告させてください。
特にイラクでは、缶詰状態になるのが目に見えていますから。
4月20日ごろに、早速イラク行きを命じられています。(略)

2004/3/12

 
(略)昨年、3カ月、イラクに出張し、イラク中を取材して歩きました。連日の銃撃戦、さらに日増しに増える爆撃音、3カ月で取材したテロ現場は7カ所、計180人ほどが殺されました。
 
 井ノ上さんとイラクの高級レストランに行き、あれこれ情報交換しました。奥さんとも現場でよく出会い、この戦争が石油戦争である現実を教えられました。その2人も死に、国連のテロ現場で知り合ったCNNの優秀なイラク人助手も殺されました。帰国後1カ月以上、大きな音に怯え、テロリストに殺される悪夢にうなされたものです。その現場に再び、というより、これから長期にわたって、がっぷり四つで取り組むことになりました。武者震いなのか、身震いなのか、よく分からないふるえを覚えます。(略)

 

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